天声人語に「日本のさくら」(大木実)紹介。 [Weekly 詩の定期便]
朝日の天声人語には時折時節に適う佳い詩句が紹介され読者の好評を得ているが、この4月17日には大木実さんの「日本のさくら」の一連が引用された。
もういちど はじめから
やり直そう
そう思った
さくらの花を仰ぎながら
文中では陸前高田市の寺でこの日花見が行われると記した後、戦争が終わって命ひとつで復員してきた大木実さんが祖国の土を踏んだ心情をうたった作と紹介している。
この日知人、友人から問い合わせが相次いだ。茨木のり子さんの示唆もあって、ぼくは2008年に大木実さんの詞華集「きみが好きだよ」を童話屋で編集した。「日本のさくら」の二連以降は次のとおり。
ボロの復員服を着て
ボロ靴をはき
南方帰りのぼくに
日本の春は寒かった
さくらの花だけが鮮やかだった
家もなく
金もないが
いのちがある
もういちど、そう思った
あのときぼくは三十だった
あの年のさくらのように
さくらはことしも美しい
ゆめのように
希望のように
梢に高く咲いている
東京のぼくの住まいの近くの桜は4月1日に咲いて10日に散った。樹の黒い幹にはもう既に来年の花の色を宿している、と聞く。
もういちど はじめから
やり直そう
そう思った
さくらの花を仰ぎながら
文中では陸前高田市の寺でこの日花見が行われると記した後、戦争が終わって命ひとつで復員してきた大木実さんが祖国の土を踏んだ心情をうたった作と紹介している。
この日知人、友人から問い合わせが相次いだ。茨木のり子さんの示唆もあって、ぼくは2008年に大木実さんの詞華集「きみが好きだよ」を童話屋で編集した。「日本のさくら」の二連以降は次のとおり。
ボロの復員服を着て
ボロ靴をはき
南方帰りのぼくに
日本の春は寒かった
さくらの花だけが鮮やかだった
家もなく
金もないが
いのちがある
もういちど、そう思った
あのときぼくは三十だった
あの年のさくらのように
さくらはことしも美しい
ゆめのように
希望のように
梢に高く咲いている
東京のぼくの住まいの近くの桜は4月1日に咲いて10日に散った。樹の黒い幹にはもう既に来年の花の色を宿している、と聞く。
訃報 岸田衿子さん
岸田衿子さんが4月7日亡くなりました。82歳でした。
菫の花から生まれた青いしじみ蝶みたいな人、と詩人の石垣りんさんが教えてくれました。大人になっても 子どものように 無邪気に 奔放に 詩を書き 絵を描いて 暮らしました。茨木のり子さんのご縁でお近づきになり、詞華集「いそがなくてもいいんだよ」を童話屋から出版しました。
浅間山麓の森の山荘でごちそうになったカボチャのサラダと手作りのパンがおいしくて、わが家の定番になりました。「かくれんぼが好きでここでもやるのよ。わたしは いつも かくれる番」とおっしゃった笑顔が忘れられせん。
その衿子さんが満開の桜の下で、かくれんぼをしてしまいました。
菫の花から生まれた青いしじみ蝶みたいな人、と詩人の石垣りんさんが教えてくれました。大人になっても 子どものように 無邪気に 奔放に 詩を書き 絵を描いて 暮らしました。茨木のり子さんのご縁でお近づきになり、詞華集「いそがなくてもいいんだよ」を童話屋から出版しました。
浅間山麓の森の山荘でごちそうになったカボチャのサラダと手作りのパンがおいしくて、わが家の定番になりました。「かくれんぼが好きでここでもやるのよ。わたしは いつも かくれる番」とおっしゃった笑顔が忘れられせん。
その衿子さんが満開の桜の下で、かくれんぼをしてしまいました。
童話屋 田中和雄